やっぱりロケットではなかった!平和の塔の内部はこうなっている。


平和の塔、正面から全景
旧宮崎市の北部、標高60mほどの丘陵地帯にある平和台公園は、宮崎市民に親しまれ、観光客も訪れる人気スポットのひとつです。

そこに建つ平和の塔は、遠目に見るとそびえ立つロケットのよう。遠くからも目立つ宮崎市のシンボルであり、その歴史的な背景もあって、なんとなく心をざわつかせる不思議な存在でもあります。

中学生の頃からこ平和の塔を横目に自転車漕いでいた私は、あの一帯が秘密基地で、いつの日かこの塔が大空に向かって飛び立つのではないかと想像を膨らませていたものでした。

 

年に一度の内部公開!

内側から見た青銅扉の上部
通常は青銅製の門が閉ざされ、隙間から暗闇を覗けども何があるのかよくわからない和の塔の内部ですが、昨年度に続いて2014年11月22日(土)に一般公開されるというので、出かけてきました。

塔の前に張られたテントにある受付で番号を札を受け取り、しばし待つと「○番までの方」と呼ばれたので、入り口に続く階段を上り、番号札と引き替えに懐中電灯を受け取って中に入ります。

 

八紘一宇(はっこういちう)

奉納庫
入り口をぬけ、正面奥には奉納庫があります。
かつてはこの中に、秩父宮雍仁親王(昭和天皇の弟君)が書かれた「八紘一宇」の御真筆が収められていたとのことですが、この日は扉が閉められ、その前に御真筆を写した写真が置かれていました。
この文字が、塔の正面上部にも刻まれていて、塔ができた当時は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)という正式名称で、この一帯も「八紘台(はっこうだい)」と呼ばれていたそうです。

この塔が建てられたのは、「日本書紀」に記される神武天皇の即位から2,600年に当たる1940(昭和15)年。
「紀元2,600年記念事業」の一つとして、当時の日本が戦争に向かう時代背景の中で、世界をひとつの家のようににまとめ上げるという「八紘一宇」の精神を体現する意図を前面に出し、のべ約6万人を動員して建設されました。
土台となる切石は、日本国内はもとより、国外からも各地の日本人会を通じて寄贈されています。

 

天井に空く八角形の穴

塔内部天井

塔の内部はたくさんの石柱に支えられていて、中央部の天井には八角形の穴が空いていました。
塔の地上高は31.5m、10階建ての構造になっていて、10階までは階段で登ることができるようになっているぞうです。
安全上の理由で公開は1階ぶぶんだけでしたが、この穴の上にも空間が続いているのですね。

そして、この写真を撮った足下、穴の直下には地下庫もあって、「八紘一宇」の文字が銅板に刻まれたものが木箱に入った状態で収められているとのことでした。

 

周囲には石膏製のレリーフが

塔内部
内部の壁面には、石膏製のレリーフ8点が飾られていました。

東半球図
東半球図

西半球図
西半球図

紀元元年
紀元元年

明治維新
明治維新

波限の産屋
波限の産屋(なぎさのうぶや)

国土奉還
国土奉還

レリーフのモチーフは、日本神話や日本の歴史などをモチーフとしており、当時の時代背景を物語っています。
石膏製ということで劣化しやすいこともあって、内部は原則非公開となっており、こうして年に一度、一日だけの公開が昨年から始まりました。

 

塔の四隅に立つ守り神

荒御魂像
塔の四隅には、塔を守るように四体の像が置かれています。
仏教にも「四天王」と呼ばれる守護神がいますが、この四体はそうではなく、御魂像(みたまぞう)と呼ばれる像なのです。

荒御魂像
まず、塔の正面を向いて左手前方(塔の東南側)にあるのが荒御魂(あらみたま)像で武人を表しています。

和御魂像
右手前方(塔の東北側)にあるのは和御魂(にぎみたま)像で工人を表しています。

奇御魂像
左手後方(塔の西南側)にあるのは奇御魂(くしみたま)像で漁人を表しています。

幸御魂像
四体目、右手後方(塔の西北側)にあるのは幸御魂(さちみたま)像で農人を表しています。

いずれも高さ4.5mあり、信楽焼(しがらきやき)で作られているそうです。

実は、この四体のうち「荒御魂像」と「八紘一宇」の文字が塔から撤去されていた時期がありました。
1945(昭和20年)の敗戦後、連合国司令部GHQの最高司令官であったマッカーサーが政府と神道との結びつきを嫌い、国家神道や軍国主義などを連想するものを禁止する「神道指令」と呼ばれる指示を出しました。
宮崎県でもその指示を受け、「八紘一宇」の文字と武人を表す「荒御魂像」を撤去し、塔は一時、ロッククライミングの練習場になるほど荒廃したとのことです。

しかしその後、戦争に至った過程を反省し平和を希求するシンボルとしてこの塔を再生する気運が盛り上がり、当時、県観光協会の会長でもあった岩切章太郎氏の尽力などもあって、「荒御魂像」は1962(昭和37)年に、「八紘一宇」の文字は1965(昭和40)年にそれぞれ復元されました。

 

設計者はサッカー日本代表にも関係あり!

サッカー日本代表エンブレム
この平和の塔を設計したのは、大分県臼杵市出身の彫刻家・日名子実三(ひなごじつぞう)で、日名子が作成した塔の模型に基づき、日本大学講師で建築家の南省吾(みなみしょうご)が構造・仕様設計をおこなったとのこと。

日名子は、明治初期に「構造社」の中心メンバーとして活躍、塔の内部に飾られているレリーフも日名子の作品ですが、何よりも彼を有名にしているのが、大日本蹴球会のシンボルとしてデザインした八咫烏(やたがらす)のマークで、それが今の日本サッカー協会にも受け継がれて、歴代の日本代表のユニフォームの胸を飾っているという訳です。

意外なところで平和の塔とサッカーが繋がりましたね。
これからは、サムライブルーの活躍を見るたびに、平和の塔のことを思い起こすでしょう。
塔をめぐる歴史はしっかりと受け止め、平和の時代に生きる者として、先人達の努力に感謝しながら。

【平和の塔】
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投稿者 Dice

Dice
2014年4月からテゲツー!ライターに参加。 趣味は料理で、2016年からフードアナリスト、2018年からは冷や汁エバンジェリストとしても活動中。 2020年4月に宮崎での7年間の単身赴任生活を終え、現在は東京・新宿にある宮崎県のアンテナショップを統括。 テゲツー!のアドバイザーで後見人的な人で、玄人受けするその記事にはファンも多い。