【涙】映画化されるべき宮崎県出身のすごい人・後藤勇吉のはなし


日本で初めて空を飛んだ生野菜をご存知ですか?正解は宮崎県産の「かぼちゃ」。映画化されてもおかしくない宮崎県出身、日本初の民間パイロット・後藤勇吉についてまとめてみました。

延岡市の商家に生まれ育った後藤勇吉

裕福な商家に生まれ、小さい頃から機械いじりが好きだった勇吉。ライト兄弟が世界初飛行を行った1903年は7歳。

延岡中学校卒業後は父のすすめにより一度は東京の自動車学校へ勤めますが、飛行機への思いは途切れずその後の人生を飛行機に捧げました。

家族を説得 その方法が斜め上をいっていた

飛行訓練に必要な飛行機。当時勇吉がレンタルしたのは水上飛行機でそのお値段は400円。家が2軒たつという程の高価なもの!

当然ながら父への援助も何度も断られました。しかし諦めない勇吉がとった行動は…

実家に飛行機を着払いで送りつける(驚)

この時勇吉は20歳。この説得が功を奏し、翌年約300人の受験生のうち合格者わずか3人という操縦生試験に合格しました。

勇吉が達成した「日本初」となる偉業

goyu4(画像: 延岡観光協会 左から2番目が勇吉)

・門川町の海岸で日本初の直線飛行に成功

・第1回懸賞飛行大会において高度5000メートルを記録し優勝。(酸素マスクなしでは不可能レベルの高度なのだそう)

・日本で初めて一等飛行機操縦士となった

・日本で初めて人を乗せて飛行(岐阜→東京)

・日本で初めて日本一周飛行に成功(9日間)

日本一周飛行の成功時、勇吉は28歳。雑誌投票で1位になるなど、アイドル並の人気があったそう。

飛行機を使って様々な貢献

goyu0(画像: 延岡観光協会

関東大震災

関東大震災では郵便飛行の為何度も往復し、約6万通の郵便の運搬、情報の伝達を行ったそう。

県産品のアピール

p05-photo02(画像: 宮崎ブランド推進本部 安全・安心ものがたり 昭和2年5月17日大阪毎日新聞)

大阪で行われた宮崎県の郷土料理を使った大試食会。宣伝効果を期待し飛行機で空輸されることとなりました。

この時勇吉に運ばれたのが「日向かぼちゃ」などの野菜。事実上初めて野菜が空輸されたと言われています。

国民が期待!太平洋横断プロジェクトの監督に抜擢

国産飛行機による壮大な「太平洋横断無着陸飛行計画」。勇吉はこのプロジェクトの監督に抜擢されます。

プロジェクトに湧いた国内ではおもちゃや絵はがきなどのグッズも販売されたそう。

大業を前に・・・わずか32歳の若さで逝った勇吉

太平洋横断プロジェクト発表の翌年、プロジェクトに向けて訓練飛行を行っていた勇吉の乗る飛行機が佐賀県の山中にて墜落。乗っていた3名のうち、勇吉1人だけが亡くなりました。享年32歳。

彼の死をきっかけに太平洋横断のプロジェクトは中止。皮肉にもその3年後に太平洋横断はアメリカの飛行家により達成されました。

勇吉の名がついた惑星

小惑星「7618Gotoyukichi」は彼を偲んで名付けられた惑星。数多くの惑星を発見している日本の天文家・小林隆男さんにより名付けられました。

後藤勇吉ゆかりの地

内藤記念館

勇吉の遺品や資料を見ることができます。その他延岡藩の歴史資料や若山牧水など延岡市の歴史を伝えるさまざまな展示があります。

後藤勇吉の銅像

叶わなかった太平洋横断の思いがこめられ太平洋を向いて銅像がたてられています。「赤い靴」や「シャボン玉」などの童謡作詞家でも知られる野口雨情が勇吉死去の際に詠んだ弔詩もあるそう。門川町の海浜公園にも銅像が、延岡城山公園内には石碑がたてられています。

(参考サイト: 宮崎県郷土先駆者)


投稿者 宮崎豚子

宮崎県の豚ブランド知ってますか?宮崎ブランドポーク普及促進協議会というのがあって、県内養豚の活性化を行っています。牛だけではなく、豚もとっても美味しいんです。 【宮崎豚子の人気記事はこちら】 宮崎は2年連続1位!いい子が育つ全国ランキング