【人と人の出会いってすごい】宮崎県出身の伊東マンショ


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宮崎県でたぶん初めて留学した人、伊東マンショ。その人生がドラマチックすぎたのでまとめてみた。

生まれは良いとこの子だけど8歳で逃亡生活

全盛期には宮崎県下に48の城や砦を有し、現在の宮崎県西都市都於(とのこおり)を中心に約240年間栄えた伊東氏の家系に生まれた伊東マンショ。

マンショが3歳の時におこった木崎原の戦いでの敗退をきっかけに家は衰退の一歩へ。8歳のときには城を追われる身となり、現在の大分県へ落ち延びました。

お菓子につられてついていった人が司祭だった

マンショの運命を大きく変えた人、その1。

10歳のときに道ばたで遊んでいるところ知らない人に声をかけられコンペイ糖をもらいます。あまりの美味しさに驚愕。そのままついていきキリスト教の洗礼をうけたそう。

長崎県の神学校で出会った人がすごい人だった

マンショの運命を大きく変えた人、その2。

洗礼を受けたあとのマンショは長崎県にある神学校で勉強をすることに。そこで出会ったのがヴァリニャーノ司祭。

このヴァリニャーノさん、織田信長や豊臣秀吉とも謁見したカトリック教の司祭で、天正遣欧使節団を企画・実施した人だったのです。ヴァリニャーノの推薦で天正遣欧使節団となりました。

13歳の時に出発、帰ってきたら21歳に

長崎港を出てからマカオ、インドを経由し目的のヨーロッパへ。

イタリア、ポルトガル、スペインなどを訪れ、使節団としての使命を終えます。長崎に帰り着いた時には8年の歳月がたち、21歳になっていました!翌年には豊臣秀吉にも謁見しています。

晩年の伊東マンショは

32歳の時に再びマカオに渡り、3年を過ごします。その後は長崎に戻り、九州の各地や山口県で布教活動を行ったそう。

43歳で熱病により長崎の教会で亡くなりますが、その前年には宮崎を訪れ、飫肥で家族(お母さん)と再会したそうです。

参照元:みやざき ひむか学ネット 伊藤マンショ

人との出会いって何を生み出すか分からない。すごいです!

<伊東マンショゆかりの地:都於郡城跡>


投稿者 宮崎豚子

宮崎豚子
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