50余年後の今、地平を超えてー2月26日「地平忌」


図書館司書の資格も持っているDiceです。
さて、いきなり問題です。2月26日は何の日でしょうか?

「二・二六事件」の日と答えられる人も少なくなってきているのではないか危惧するところではありますが、私にとってこの日は、それよりも「地平忌」中村地平の命日として強く記憶されています。

没後50年を過ぎて、中村地平って誰?という人も増えてきているのではないかと思いますが、1908(明治41)年に宮崎市で生まれ旧制宮崎中学校(現大宮高校)から台湾台北高等学校を経て東京大学文学部を卒業。
小説家として井伏鱒二に師事し、太宰治、小山祐士とともに、井伏鱒二門下の3羽ガラスといわれた人物なのです(右の写真は、「みやざきの101人」より)。

詳しくは、下記のWikipediaと、宮崎県庁のサイトの中にある「みやざきの101人」へのリンクを参照してください。

中村地平-Wikipedia

中村地平-みやざきの101人

その中村地平を記念した文学碑が、宮崎市の阿波岐原森林公園 市民の森にあるというので、「地平忌」を前に訪ねてきました。

園内地図

場所は、西園入口にある売店から、南にすぐのところです。

文学碑案内碑

小径の分かれ目には、こうした案内碑が立っているので、すぐにわかると思います。

中村地平文学碑全景

少し歩くと、木立の中に石畳の道が作られ、その奥に屋根付きの壁が組み合わされた構造物が見えてきました。
これが、探し求めた文学碑でしょうか?
中に入ってみましょう。

建設委員会銘板

壁には銘板が埋められています。
まず、一枚目の黒い石に刻まれているのは、「中村地平文学碑建設委員会」のもの。
中村地平の没後10年の、1973(昭和48)年6月に、県内外の有志の手により建立されたことがわかります。

建設委員

続く銘板は、建設関係。
建設委員会の委員長は日高安壮、設計は日高久一、施工は株式会社志田組と、当時の名士、名社が並んでいます。

年譜前半

続いて、年譜が刻まれた銘板。
横に長いので、この写真は前半部、1908(明治41)年の生誕から、昭和19年に疎開で宮崎に戻るまで。
このあたりのことは、東京・荻窪在住の荒井大樹氏が、「井伏鱒二 と 荻窪風土記 と 阿佐ヶ谷文士」というWebサイトの中で、
「阿佐ヶ谷文士それぞれ(人生と文学) 中村地平」
として、文献に基づいてかなり詳しくまとめられているので、参考にしてください。

年譜後半

続いて、年譜の後半部。
戦後宮崎の文化の振興に極めて大きな役割を果たし、1963(昭和38)年2月26日に心臓麻痺のため死去。
1971(昭和46)年に、全3巻から成る「中村地平全集」が皆美社から刊行されています。

雲はどこにでも似つかはしい姿で現れる

そして、一番奥の碑板には、中村地平の書による
「雲はどこにでも似つかはしい姿で現れる」
という一文が刻まれています。

この文章は、旧台北高等学校時代のことを書いた『廃校淡水』という作品の中から取られているようです。

文学碑の壁

中村地平の小説家としての名声は、残念ながら井伏門下の三羽烏として並び称された太宰治には及びませんが、戦後宮崎の文化の振興に極めて大きな役割を果たした人物であり、その著書『日向』は、宮崎の風土や歴史を知る風土記として、今も教えられることがたくさんあります。

また、多方面での活躍の中でも、特に1947(昭和22)年から1957(昭和32)年までの宮崎県立図書館長としての功績は高く評価することができます。

日本十進分類法による図書の整理、増改築に伴う文化ホールの新設、臨海文庫・農村文庫などの貸出文庫や自動車文庫「やまびこ」の開設、参考係の新設など、今につながる図書館サービスが確立されたのは、この中村館長の時代であり、今は絶えてしまいましたが、図書館に専門職である司書を積極的に採用し、国内で有数のサービスを誇っていたのもこの時代でした。

中村地平文学碑奥

中村地平の没後50年以上経った今、地平が築いた図書館サービスの素地は、残念ながら十分に受け継がれているとは言えませんが、今また新たに地平を超えて、どこにでも似つかわしい図書館の姿を作り出していく時なのかもしれません。

市民の森に行かれた際は、是非、この文学碑を訪れ、宮崎の地に一時代を築いた傑出した人物がいたことに想いを馳せていただければと思います。


投稿者 Dice

Dice
2014年4月からテゲツー!ライターに参加。 趣味は料理で、2016年からフードアナリスト、2018年からは冷や汁エバンジェリストとしても活動中。 2020年4月に宮崎での7年間の単身赴任生活を終え、現在は東京・新宿にある宮崎県のアンテナショップを統括。 テゲツー!のアドバイザーで後見人的な人で、玄人受けするその記事にはファンも多い。