「日本一有名な薬剤師」と呼ばれたい!ーアクション俳優・柚木崎義隆


ゆっきー@テゲツー!スタジオ1

格闘技はできないけど、観るのは好きなDiceです。
2年ほど前に、台湾で活躍中の大谷主水君とともに、台北で一緒に飲んだことのある「ゆっきー」こと柚木崎義隆君が、久しぶりに宮崎に帰ってきているというので、飲みに誘って、ついでにインタビューしてきました。


Dice:ゆっきー久しぶり。
今日は、テゲツー!のインタビューということなので、よろしく。
まずは、簡単に経歴とというか、自己紹介からお願い。

ゆっきー:経歴って、何から話せばいいですかね?

Dice:そうね、じゃ、まずは生年月日から。

ゆっきー:1980(昭和55)年5月3日生まれです。

Dice:1980年ということは、36歳になったばっかりなのね。おめでとう!
学校はどこだったの?

ゆっきー:高校は宮崎第一の文理科で、大学は第一薬科大学です。

Dice:で、アクションとの繋がりっていつ頃からなの?

ゆっきー:僕、小学生の頃から器械体操をやっていたんですよ。
「宮崎体操教室」っていって、宮大で練習してました。
中学の時は、中体連の試合にも出たことがあります。
機械体操やってたので、体幹、身体の使い方の基本ができているというのはありますね。

その頃から、アクション映画に憧れてました。
よく視てたのは、ジャッキー・チェンの映画ですね。
ジャッキーとサモ・ハンとかが出ていて。

高校に入って、テコンドーを習いに道場に行くようになって、小学生の時から知っていた大谷主水君と再会し、一緒に練習するようになりました。

主水君はずっとやっていて、僕は高校に入ってからでしたけど、主水君は努力家でずっと練習してるんですよ。反対に僕は、天才肌と言うか、練習嫌い。
基礎トレーニングは嫌いだけど、戦うことが好きで、主水君から一緒に練習しようと言われて、スパーリングパートナーとして、いっつも一緒に練習するようになりました。

軽量級の僕が階級が上の主水君や先生の突きや蹴りを受けるんで、試合とかで同じ階級の奴から受ける感じが全然軽いんですよ。
それで、二人して試合では勝ちまくってましたね。

高校の時に九州チャンピオンになって、全日本ジュニアで優勝もしました。

 

テコンドーから薬剤師へ

薬剤師ゆっきー
写真提供:ゆっきー

Dice:え、それじゃ、テコンドーでオリンピックにも行けたんじゃない?

ゆっきー:そうですね。行こうと思えばテコンドーで大学にも行けたんですけど、実家が薬局で、なんとなく実家を継がなきゃという気持ちもあったんです。
勉強はあんまりしてなかったんですけど、進学の資料を見てた時に、第一薬科大学のデータ見て、ここなら行けるんじゃないかなと思って、進学することにしました。

でも、さすがにいきなりは通らなくて、一年浪人して福岡の予備校で勉強して入学することになったんですが、薬剤師を目指した時点で、福岡では教えてもらう人がいなかったので、テコンドーの道は諦めざるをえなかったんです。
でも、福岡でも道場には行っていて、指導員として教えたりはしてました。キックボクシングも道場でやってましたよ。

ゲームでも全力!
写真提供:ゆっきー

Dice:なるほどね。
それで、宮崎に帰ってきた訳だよね。それが、どうして台湾に行くことになったの?

ゆっきー:大学で薬剤師になる勉強しましたけど、国家試験に合格しないとダメなんです。
在学中には合格しなくて、結局、卒業後に浪人して試験を受けて、資格を取りました。
それで、宮崎に戻って薬剤師をしてたんですが、実家が薬局なんでいずれ後を継げる訳ですよね。
だから、跡を継ぐ前に、一度世界を見てみたい中国を見てみたいと思って、5年前、30歳の時に台湾に行きました。

Dice:台湾にしたのは、もんちゃんがいたから?

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台湾での転機

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この記事を書いた人

2014年4月からテゲツー!ライターに参加。
趣味は料理で、2016年からフードアナリスト、2018年からは冷や汁エバンジェリストとしても活動中。
2020年4月に宮崎での7年間の単身赴任生活を終え、2022年3月まで東京・新宿にある宮崎県のアンテナショップを統括した後、さいころ株式会社を設立、同社代表取締役。
テゲツー!のアドバイザーで後見人的な人で、玄人受けするその記事にはファンも多い。

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