漁業復権の切り札となるか!? - IORIGAWA FISHERMANS FEST


フィッシャーマンズフェスタの様子

両親が南郷町目井津という漁師町の出身、山より海が好きで、きっと漁師の血を引いているだろうなと思うDiceです。

さて、先日の日曜日(3月17日)、門川町の庵川漁港で、第2回「IORIGAWA FISHERMANS FEST 2019」が開かれたので、JR日豊本線の電車に乗って出かけてきました。

フィッシャーマンズフェスタ会場

門川駅から徒歩で30分ほど。
漁港のすぐ横、青い屋根に青い外壁の庵川漁協共同荷捌施設の前にステージやテントが設置され、既にたくさんの人が集まってきていました。

 

さかなのまち門川

停泊中の漁船

天然の良港を抱える門川町は、同じ湾内に門川漁協と庵川漁協の2つの漁協があって、日向灘の黒潮が育む豊かな海の幸を獲る底曳き漁や定置網漁、マグロ延縄漁などが盛んで、昔から「さかなのまち門川町」として栄えてきました。

第二次世界大戦後の復興期から昭和50年代くらいまで、門川の女性達は、ガンガンと呼ばれるブリキ缶に魚を詰め、それを背負って汽車に乗り、遠くは宮崎市まで売り歩いていました。
「ガンガン部隊」と呼ばれた行商のおばちゃん達が、「さかなのまち」を支えていたのです。

しかし、漁業資源の減少や少子高齢化の影響もあって、日本の漁業は次第に衰退の道をたどりつつあります。

 

漁業従事者は減り続けている

漁業従事者の推移

このグラフは、5年に一度の「漁業センサス」から、宮崎県全体の漁業就業者数を年齢構成別に拾って積み上げたものなのですが、ご覧のとおり、1988年から2013年までの25年間で、漁業従事者は約半分に減っています。

しかも、男性の60歳以上と女性の数はあまり変わっていないのに、59歳以下の減りはかなり大きいので、従事者の減少とともに高齢化が進んでいることがよくわかります。

最新の2018年のデータはまだ公表されていませんが、この傾向がさらに進んでいることが心配されます。
このままでは、宮崎県の漁業は衰退の一途をたどるのではないかという懸念もあるのです。

この傾向は、「さかなのまち」として知られる庵川漁港でも同様で、以前は200人以上いた漁師は、今や100人を切るまでになり、高齢化、後継者不足という問題に直面しています。

そんな状況をなんとか打開したいと考える若い世代が、庵川で新たな取り組みを始めたのでした。

 

庵川で若者達が大きな一歩を踏み出した

濱田秀昭さん

そうした若い世代の代表が、濱田秀昭さん。
実家は代々漁師の家系ですが、濱田さん自身は町役場に勤務し、弟さんが漁師の仕事を継いでいます。
漁業の現場から一歩引いたところから見えてきた地域の姿から、濱田さんは、
「この町は、漁師が元気じゃないと町に活気が生まれない。
漁師になる道を選ばなかった自分にもできることがあるんじゃないか。
この門川の漁師さん達と一緒になって盛り上がっていけるような何かができないか。」
と考えるようになります。

円形の焼き屋台

そんな時に出会ったのが、鹿児島県甑島(こしきじま)で行われているフィッシャーマンズフェス。
漁業の流通の課題や後継者問題など漁師をとりまく問題を「楽しく」解決していこうという目的で、港に一般の人に来てもらって、漁師と直接会話しながら魚を食べてもらうというイベントです。
ここで、たくさんの笑顔や自信に楽しそうな漁師達の姿に出会った濱田さんは、これなら門川の漁師達にも日々の仕事への自身と誇りを取り戻すきっかけになるのではと思い立ちます。

そこで、そのフェスを主宰する「東シナ海の小さな島ブランド社」の代表取締役山下賢太さんの了解を得て、フェスのモデルをそのまま地元の庵川漁港に導入することにして、2018年3月に第1回目の「IORIGAWA FISHERMANS FEST 2018」を開催し、手応えを得たのでした。

 

クラウドファンディングにチャレンジ

FAAVOのプロジェクトページ

しかし、イベントが1回成功したからと言って、それで全てが解決するほど世の中は甘くありません。
たくさんの人に、漁港のことや漁師の仕事とその魅力を知ってもらうこと。
それによって漁師になりたいと思う人を少しでも増やすこと。
現役の漁師が、胸を張って漁師の仕事を次世代に繋げるようになること。
そして、「さかなのまち門川町」全体を活性させることが、濱田さん達が考えるフェスの目的です。

そのためには、イベントを継続させていく必要がありますが、第2回目以降は行政の支援は得られないので、開催のための費用は自分たちだけで捻出する必要があります。
そこで、濱田さんが発起人となってクラウドファンディングに挑戦し、100万円の目標に対して125人から117万5,500円の支援金を集め、無事に第2回目が開催される運びとなったのでした。

 

漁業の復権に向けて

若い漁師が魚を焼く

当日の会場では、中央に円形に設置された木製の焼き屋台の中に若い漁師の姿がたくさんあり、獲れたての魚介類を一生懸命に焼いて、次々とお客さんに手渡していました。

マツカサウオ

焼き台の網の上を見ると、これはマツカサウオではありませんか!?
割と深いところにいる魚なんですが、こんなの獲れるんですね。しかも、食べられるんですね!!
固い鱗の下は柔らかな白身で、いかつい姿に似合わず上品な美味しさなんですよね。

手を加えず炭火でシンプルに焼いただけですが、こうした普段見慣れない珍しい魚もあり、潮風に吹かれながら、漁師さん達からその特徴を聞きながら食べる魚介類は、美味しさも倍増という感じでした。

親子で参加

中には、親子で参加している漁師の前で、親子で来場しているお客さんの姿もあり、若い世代に魚の美味しさだったり、漁師の仕事の面白さだったり、海の楽しさだったりを伝える良い機会にできたのではないかと思います。

イベント終わって、運営側の皆さんも手応えを感じたようです。

2回目が終わって、新たな反省点も見えたことと思います。
漁業について知ってもらうという意味では、まだまだできることはたくさんあるなと感じました。
しかし、イベントを開く側も、参加する側も、みんな楽しんでいる姿が見えたのは良かったなと思いました。

「港祭り」みたいなイベントは、各地で開催されていますが、この「IORIGAWA FISHERMANS FEST」は、若い世代が企画して運営の中心になっているだけあって、ロゴマークにテーマカラー、スタッフ全員がお揃いのTシャツ、円形の焼き屋台など木製の什器と、きちんとデザインされていて、お洒落な雰囲気があります。
それが、これまで漁港に足を踏み入れることの無かった人たちを引きつけるひとつの魅力にもなっているようです。

庵川の若者達が起こした波は、まだまだ小さなさざ波なのかもしれませんが、小さな成功が積み重なることにより、その波の輪が大きく広がっていくことを願っています。

運営は大変でしょうが、来年も楽しみにしています!!

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この記事を書いた人

2014年4月からテゲツー!ライターに参加。
趣味は料理で、2016年からフードアナリスト、2018年からは冷や汁エバンジェリストとしても活動中。
2020年4月に宮崎での7年間の単身赴任生活を終え、2022年3月まで東京・新宿にある宮崎県のアンテナショップを統括した後、さいころ株式会社を設立、同社代表取締役。
テゲツー!のアドバイザーで後見人的な人で、玄人受けするその記事にはファンも多い。

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